『コロナワクチン』打ったら人生変わった

ワクチン打っただけなのに…右脚に麻痺が出た。これからどうやって生きて行こう…

「やりきる」という事

しばらくご無沙汰をしておりました。

この一月半、欲望の赴くまま過ごし、ようやく自制心を取り戻し還魂いたしました リ・ハビリスです!

 

 

「どうしてこんな事に」

 

 

この思いは一日に何度も私の中を駆け巡る。

考えても答えは見つからない。

そしてまた何度も何度もこの思いは現れる。

料理をして

花を植えて

部屋の模様替えをしたり

本を読んだり

映画を観たり

懐かしいCDを引っ張り出して来て、ノリノリの音楽も聴いた。

 

そうやって誤魔化してきた。

 

リハビリに通い、担当の理学療法士に「がんばりましょう!」と言われ、

「はい!」と力強く応える。

理学療法士の言葉を一字一句聞き逃す事無く集中して受け止め、その指示に汗が出るほど無我夢中に体を動かした。

 

そして3回目のワクチン接種から240日目を迎えた

2022年11月28日今日現在、

私の右腕と右脚に現れた麻痺は、何ら変わる事無く私の人生の足かせとなり続けている。

 

 

「どうしてこんな事に」

 

10月もまた謎の体調不良が続いていた。

体中に「アリに噛まれる」様なチクチクする痛みが現われたり、めまいで立てない日が何日か続いたり、胃痛に胃もたれの様な症状、背中の痛み、全身のひどい倦怠感でベッドから起きられなかったり、例えるなら「心臓をギュっと握られる」様な痛みの様な変な感じや、深い呼吸が出来ずにハッハッと突然呼吸が浅くなったり…と、次から次に現れる症状に悩まされていた。

 

本当に回復するのだろうか

ドクター達は「最低でも半年~だいたい1年くらいは回復まではかかる」と言っていた。

その半年を過ぎたが、麻痺の症状は何ら変わらず。

前進も後退もしていない。

 

そして10月のとある日から私は「いろいろ」を捨てかけた。

 

夫を送り出し、引き続きいつもの家事を済ませようと家の階段を上がっている時だった。

数段を残したところで躓き、右こめかみと右肩右腕を階段に打ちつけた。

その場にうずくまり、突然の痛みに耐えていた。

そして、引いていく痛みに反してグツグツと煮えたぎる感情の塊が現われた。

 

もうだめだ。

 

クッソッ

ばか、ばッか、ばッッかぁ

ウルセーバカ

知り得る限りの暴言を吐き出した。

とてもここに書けない様な暴言の数々をその場に撒き散らし、泣いた。

たったこの十数センチの段差も越えられないもどかしさ。

何なんだよ、バカヤロー。

悔しいのか悲しいのか何なのか、よくわからない感情で、誰に向けての暴言なのかもわからず、ただひたすら当たり散らした。

惨めだ。

 

自制というダムを決壊し、溢れた濁流は簡単に私を飲み込んだ。

 

本当にもとの生活に戻れるのか。

もしかしたら、もうこのまま戻れないんじゃないのか。

この脚はもう動かないんじゃないのか。

前向きになんかなれない。

もう無理だ。

仕事もお洒落も旅行も、車の運転さえ…もう何も出来ない。

何の為に生きているんだろう。

これからどうやって生きて行けばいいんだろう。

 

月日と共に大きくなる猜疑心を誤魔化してきた。

しかしもうだめだ。

もう誤魔化しきれない。

私の脚はもう治らない。

ハイヒールも履けない。

その時から私は、「夢」も「希望」も「楽しい」も、いろいろを捨てた。

 

朝になったら目が覚める。

しかしベッドから起き上がる事が出来ない。

しばらくゴロゴロした後、やっとの思いで何とかベッドを出る。

お腹が空いているのかいないのかも分からない。

仕事に出る前に夫が整えてくれてあるキッチン。

今日もお弁当を持たせてあげられなかった。

お弁当どころか、朝食も夕食も、ほとんど作らなくなった。

そして私はただなんとなく一日を終わらせて行く。

なんとなく冷蔵庫にある物を食べ、

なんとなくネットを観て、

なんとなく時間が過ぎるのを待った。

 

そんな日を何日か繰り返したある日、前の会社の同僚から連絡が入った。

「Hさんのご主人が亡くなった」

えっ!?衝撃だった。

以前の会社に勤務していた当時、ある悩みを抱えていた私は、Hさんに相談した事がある。

キッパリ自分の考えを言う、サバサバ系姉御肌のHさん。その時にも見事に正当な意見で私をギャフンと言わせた。

「確かに。そうだよなぁ」と肩を落とし電話を切った数分後、またHさんから着信。

「さっきの話し、私はそう思ったんだけど、旦那に話したら~」

Hさんの旦那さんも私と同意見、イケイケGOGOで、私の背中を押してくれた事があったのだ。なんと心強い。

直接面識は無かったが、私はHさんの旦那さんに対して好意的であり、尊敬もしていた。

あのご主人が亡くなった!?

Hさんは大丈夫だろうか。

聞かせてもらった仲良し夫婦のおもしろエピソードを思い出し、更にHさんが心配になった。

しかし、今のこの姿でお通夜に行く事にはためらいがある。

 

結局葬儀が終わって3日後、夫の休みの日にHさんの家を訪ねる事にした。

5年振りの再会。

Hさんは全く変わっていなかった。懐かしい姉御の姿に少しホッとした。

部屋の祭壇のご主人の写真、男前だ。

本当にお似合いのカップルだと思った。

経営者であり、人材育成に力を注いで来たご主人の遺影の周りには、感謝のコメントや写真が数多く置かれていた。

私の想像通りの人だった。

 

私とHさんは、5年のブランクを感じさせず喋り続けた。

気付けば2時間を回っている。

 

終始Hさんは明るかった。

清々しささえ感じた。

そしてHさんは私にキッパリと言った。

「私はやり切った。」

そう言い切ったHさんに、感動して涙が出そうだった。

3年間のご主人の闘病生活の間、繰り返される入退院に付き添い、ずっっと寄り添って来たHさん。

やれる事は全てやったと言い切るHさん。

 

 

私は何をしているんだろう。

私も人生の最期に「やりきった」と言いたい。

 

こんな麻痺ごときに振り回されているのが馬鹿らしくなってきた。

 

よし!

 

と言っても何をすればいいのか分からないが、とりあえず

今やるべき事をやり、毎日をちゃんと暮らそうと思う。

 

ごめん、夫。

これからは美味しい物を作るね。

 

 

囚われ続け、あがいた40日間がやっと終わる。