「やりきる」という事
しばらくご無沙汰をしておりました。
この一月半、欲望の赴くまま過ごし、ようやく自制心を取り戻し還魂いたしました リ・ハビリスです!
「どうしてこんな事に」
この思いは一日に何度も私の中を駆け巡る。
考えても答えは見つからない。
そしてまた何度も何度もこの思いは現れる。
料理をして
花を植えて
部屋の模様替えをしたり
本を読んだり
映画を観たり
懐かしいCDを引っ張り出して来て、ノリノリの音楽も聴いた。
そうやって誤魔化してきた。
リハビリに通い、担当の理学療法士に「がんばりましょう!」と言われ、
「はい!」と力強く応える。
理学療法士の言葉を一字一句聞き逃す事無く集中して受け止め、その指示に汗が出るほど無我夢中に体を動かした。
そして3回目のワクチン接種から240日目を迎えた
2022年11月28日今日現在、
私の右腕と右脚に現れた麻痺は、何ら変わる事無く私の人生の足かせとなり続けている。
「どうしてこんな事に」
10月もまた謎の体調不良が続いていた。
体中に「アリに噛まれる」様なチクチクする痛みが現われたり、めまいで立てない日が何日か続いたり、胃痛に胃もたれの様な症状、背中の痛み、全身のひどい倦怠感でベッドから起きられなかったり、例えるなら「心臓をギュっと握られる」様な痛みの様な変な感じや、深い呼吸が出来ずにハッハッと突然呼吸が浅くなったり…と、次から次に現れる症状に悩まされていた。
本当に回復するのだろうか
ドクター達は「最低でも半年~だいたい1年くらいは回復まではかかる」と言っていた。
その半年を過ぎたが、麻痺の症状は何ら変わらず。
前進も後退もしていない。
そして10月のとある日から私は「いろいろ」を捨てかけた。
夫を送り出し、引き続きいつもの家事を済ませようと家の階段を上がっている時だった。
数段を残したところで躓き、右こめかみと右肩右腕を階段に打ちつけた。
その場にうずくまり、突然の痛みに耐えていた。
そして、引いていく痛みに反してグツグツと煮えたぎる感情の塊が現われた。
もうだめだ。
クッソッ
ばか、ばッか、ばッッかぁ
ウルセーバカ
知り得る限りの暴言を吐き出した。
とてもここに書けない様な暴言の数々をその場に撒き散らし、泣いた。
たったこの十数センチの段差も越えられないもどかしさ。
何なんだよ、バカヤロー。
悔しいのか悲しいのか何なのか、よくわからない感情で、誰に向けての暴言なのかもわからず、ただひたすら当たり散らした。
惨めだ。
自制というダムを決壊し、溢れた濁流は簡単に私を飲み込んだ。
本当にもとの生活に戻れるのか。
もしかしたら、もうこのまま戻れないんじゃないのか。
この脚はもう動かないんじゃないのか。
前向きになんかなれない。
もう無理だ。
仕事もお洒落も旅行も、車の運転さえ…もう何も出来ない。
何の為に生きているんだろう。
これからどうやって生きて行けばいいんだろう。
月日と共に大きくなる猜疑心を誤魔化してきた。
しかしもうだめだ。
もう誤魔化しきれない。
私の脚はもう治らない。
ハイヒールも履けない。
その時から私は、「夢」も「希望」も「楽しい」も、いろいろを捨てた。
朝になったら目が覚める。
しかしベッドから起き上がる事が出来ない。
しばらくゴロゴロした後、やっとの思いで何とかベッドを出る。
お腹が空いているのかいないのかも分からない。
仕事に出る前に夫が整えてくれてあるキッチン。
今日もお弁当を持たせてあげられなかった。
お弁当どころか、朝食も夕食も、ほとんど作らなくなった。
そして私はただなんとなく一日を終わらせて行く。
なんとなく冷蔵庫にある物を食べ、
なんとなくネットを観て、
なんとなく時間が過ぎるのを待った。
そんな日を何日か繰り返したある日、前の会社の同僚から連絡が入った。
「Hさんのご主人が亡くなった」
えっ!?衝撃だった。
以前の会社に勤務していた当時、ある悩みを抱えていた私は、Hさんに相談した事がある。
キッパリ自分の考えを言う、サバサバ系姉御肌のHさん。その時にも見事に正当な意見で私をギャフンと言わせた。
「確かに。そうだよなぁ」と肩を落とし電話を切った数分後、またHさんから着信。
「さっきの話し、私はそう思ったんだけど、旦那に話したら~」
Hさんの旦那さんも私と同意見、イケイケGOGOで、私の背中を押してくれた事があったのだ。なんと心強い。
直接面識は無かったが、私はHさんの旦那さんに対して好意的であり、尊敬もしていた。
あのご主人が亡くなった!?
Hさんは大丈夫だろうか。
聞かせてもらった仲良し夫婦のおもしろエピソードを思い出し、更にHさんが心配になった。
しかし、今のこの姿でお通夜に行く事にはためらいがある。
結局葬儀が終わって3日後、夫の休みの日にHさんの家を訪ねる事にした。
5年振りの再会。
Hさんは全く変わっていなかった。懐かしい姉御の姿に少しホッとした。
部屋の祭壇のご主人の写真、男前だ。
本当にお似合いのカップルだと思った。
経営者であり、人材育成に力を注いで来たご主人の遺影の周りには、感謝のコメントや写真が数多く置かれていた。
私の想像通りの人だった。
私とHさんは、5年のブランクを感じさせず喋り続けた。
気付けば2時間を回っている。
終始Hさんは明るかった。
清々しささえ感じた。
そしてHさんは私にキッパリと言った。
「私はやり切った。」
そう言い切ったHさんに、感動して涙が出そうだった。
3年間のご主人の闘病生活の間、繰り返される入退院に付き添い、ずっっと寄り添って来たHさん。
やれる事は全てやったと言い切るHさん。
私は何をしているんだろう。
私も人生の最期に「やりきった」と言いたい。
こんな麻痺ごときに振り回されているのが馬鹿らしくなってきた。
よし!
と言っても何をすればいいのか分からないが、とりあえず
今やるべき事をやり、毎日をちゃんと暮らそうと思う。
ごめん、夫。
これからは美味しい物を作るね。
囚われ続け、あがいた40日間がやっと終わる。
白十字とハート
わかった!!
そうだ
「キャメラ」でお馴染みの、アッコさんのモノマネをしている Mr.シャチホコだ!!!
あ~、スッキリしたぁ。
私の今の主治医のK先生が、誰かに似ているなぁ~
と思っていたが、今日テレビを観ていて思い出した。
Mr.シャチホコが真似するミスチルの桜井さんに似てるんだ!!
ホント、そっくり!!
こんにちは 胸のつかえが取れてスッキリの、
リ・ハビリスです!
一昨日はリハビリに行き、
昨日は検査に行って来た。
自動受付機で受け付けを済ませ、エスカレーターに乗った際、
目の前で揺れている「赤の中に白十字と白いハート」が描かれたカードに目が留まった。
それは50代と思しき男性のカバンにぶら下がっていた。
そして私はあの日に思いを馳せた。
あれは2020年の夏
猛暑の中私は自転車を走らせていた。
繁華街の商業施設の周りは人でいっぱいだ。
もう夏休みだから若い子が多いな…などと思いながら、赤信号で止まった。
「あっつぅ~」と周りを一回り見渡すと、左斜め後方に男性発見。
こんなに暑いのに、彼は炎天下のコンクリートの上で大の字になって寝ている。
ん? 酔っ払いか??
大通りと大通りの間の路地裏だが、普通に人々が行き交っている場所だ。
顔を戻し正面に向き直したが、やはりどうにも気になる。
なぜあの人はあそこに寝ているのか。
まさか倒れているんじゃ…
いや、だけど
そのすぐ脇を人々は気にする様子も無く歩いている。
どうにもこうにも気になって来た。
寝ている男性の横の車道を通り、信号待ちの為に私の隣に並んだサラリーマン。
思い切って声を掛けてみた。
「あの人って、酔っ払いですかね?」
『いやぁ~どうなんでしょうねぇ』
情報は得られない。
ダメだ。気になってしょうがない。
よくよく見たら、たぶん男性が着けていたと思われるヘッドフォンが、2m程離れた所に落ちている。
やはりこれはおかしい。
タダ事じゃないと確信した私は、男性の所に向かった。
信号は青に変わったが、さっき声を掛けたサラリーマンのおじさんも一緒に来てくれた。
男性の顔を覗き込むと、目を瞑り顔からも体からも大量の汗が噴き出していた。
「大丈夫ですか?」
声を掛けてみたが反応が無い。
これはヤバイ。
冷凍庫から取り出し、持参していたペットボトルを男性の首元に当てる。
「ひとまず日陰に運びましょう!」
だが、体格の良いその男性は、なかなか2人の力では動かせない。
咄嗟に
「すみませ~ん、手を貸してくださ~い」
思わずそう叫ぶと、2~3人の女性が来てくれた。
彼女達も事を理解し、力を貸してくれた。
異変を感じた他の通行人も集まって来た。
タオルで煽ったり、目の前にある有名コーヒー店から氷を貰って来てくれたり…
スマホを忘れた私はおじさんに救急車の要請をお願いした。
幼少期には「おんな番長」と呼ばれていた私。
仕切る事は得意だ。
皆の介抱が続けられる中、男性が意識を取り戻し始めた。
『~、~』
言葉になってはいないが、何かを話している。
汗を拭き、身体を冷やし、声を掛け続ける。
『バッ…バッう』
ん??
『バッう・・・』
あ、バッグか!
「バッグですか?」
聞き返すと男性は頷いた。
『な・・っか、なっか』
「中ですね!? 失礼しますね」
中を開いてみると、赤地に白十字と白いハートのマークが印刷されたカードが取っ手に着けられていた。
カードには、
男性の名前、年齢、血液型などの個人情報
そして
「突然意識を無くし、倒れる事があります。その時は、こちらに連絡してください。」というメッセージと共に、携帯の番号が書かれていた。
衝撃で、私に発する言葉は無い。
カードを見ている間に救急車が到着したので、救急隊員の方にカードを差し出し連絡をお願いした。
その夜家に帰るとすぐにあのカードを調べてみた。
『ヘルプカード』と言うらしい。
私はその存在すら知らなかった。
そして他にもいろいろな福祉カードが世の中にはあるらしい事を知った。
だが
せっかくそんなカードがあっても、認知されていなければ意味を成さない。
あの時 もし私がカードの存在を知っていれば、もっとスムーズに対処出来たのかもしれない。
調べなければ分からないのでは無く、
日常の中で自然に入って来る様な情報発信は出来ないものか…
とりあえず
このブログでヘルプカードの存在を知った皆さんには、直ぐに「ヘルプカード」を調べていただきたい。
そして
この際だからもう一つこんな話しを・・・
2022年、今年の7月のある夜
夫の運転する車で家に向かっている途中、大きな川に架かった橋の手前で前の車が止まった。
その前を見てみると、ずっと先まで渋滞している。
ん?
こんな所でこんな時間に渋滞?
チョロっと進んでは止まり、またチョロっと進んでは止まり…を数回繰り返し、その原因が分かった。
この長い橋の車道を、一人のおばあさんが歩いていたのだ。
対向車線の車の合間を縫って、一台一台おばあさんを抜かして行く。
「おばあさん、危ないなぁ」と言いながら、夫がおばあさんを抜かした瞬間、私はつい「止めて!」と叫んだ。
後部座席に座っていた為直ぐには気付かなかったが、
おばあさんの後ろ姿に異変を発見した。
お漏らしをしているようだ。
そうか…
認知症を患っているのかもしれない。
橋を渡り終えて直ぐの待避スペースに車を停めると、橋のたもとまで歩き、おばあさんの様子をうかがってみた。
あと100mちょっとくらいかな…
あれ、おばあさんが立ち止まり、身を乗り出して橋の下を覗いている。
まさか、飛び降りるつもりじゃないよね…
私は歩道を歩き、おばあさんの位置まで行くと、車道を歩くおばあさんの様子をうかがいながら並行して歩いた。
なんとか橋を渡り切り、おばあさんを保護した。
110番通報した後、おばあさんとお喋りをしながらパトカーの到着を待った。
杖に名前が書いてある。
確認すると、おばあさんの名前だった。
綺麗な名前。
『うちから歩いて来て、今から電車に乗る』と言っていた。
だけど『お金も持っていないし駅も分からなくなっちゃった』とも。
おばあさんが教えてくれた家の住所は、とてもここまで歩いて来れる場所では無かった。
以前何かの雑誌で
認知症になると、近い記憶は薄れ、昔の記憶が蘇って来る
と読んだ事がある。
きっとおばあさんの記憶は、過去に戻っているのだろう。
その住所は、嫁ぐ前に暮らしていた家なのかもね。
もしかしたら、おばあさんは今、私より年若く戻っているのかな…。
なんだか可愛いな。
私がおばあさんとお喋りしている間、高校生くらいの娘を連れた女性が車を横付けた。
この女性もおばあさんを気にして停まってくれたようだ。
何十台も走り抜けた車の中で、停まったのはわずかに二台。
悲しい世の中だね。
そして
しばらくして駆けつけたパトカーに、おばあさんは乗せられて行った。
挑戦
私には「メモを取る」癖がある。
思いついた事は付箋に書き留め、ノートにペタペタと貼っている。
思った事をただ書くというのは、子供の頃から続いている癖だ。
先日実家の倉庫で何年も前のノートを見つけた。
その1冊のノートには、高校時代の考えや思い付きがランダムに記されていた。
◎P&Dの服が欲しい
◎クッキーのレシピ
◎バイトの出勤日
◎アントニオ猪木の似顔絵(何故だ!?)
◎友人の誕生日
◎映画の感想とハリウッドスターの名前
当時の私の頭の中の様々が書かれていた。
ページをめくりながら、とんでもない発言を見つけ、笑った。
「やべ~な、JK」と。
メモは1冊のノートから付箋に変わり、カテゴリー別に移動が可能なスタイルになった。
これまでカラーペンでカテゴリー分けをしていたが、付箋自体の色を変え、付箋の色別でカテゴリーの分類をしようとそのスタイルは進化した。
が、まだ活かしきれていない。
このブログを書くにあたり、入院中から書いている記録やたくさんの付箋メモ、
それらを読み返しながら今日もブログを書いている。
という事で、ん?どういう事か分からないが…
いよいよ、ワクチン接種後に現れた、麻痺という後遺症に対する原因解明の再挑戦を始めた リ・ハビリスです!
2022年6月1日 ワクチン接種から60日目
総合内科のベテラン先生は内線を切り、今から脳神経内科に回ってくださいと、力強い目を向けながら私を送り出してくれた。
案内された脳神経内科の前にはこれまたとんでもない数の患者が順番を待っていた。
受け付けで手続きを済ませると、たった一つ空いていた椅子に座り、私も順番を待った。
しばらくすると「待ち時間がかなり長くなる為、先に食事に行って来てください」と言われ、病院の隣にあるカフェに入った。
席に着くや否や、私は我慢出来ずに夫に向かって、マシンガントークを繰り広げた。
「ベテラン先生、孤島の名医みたいな雰囲気!」
「ほら、俳優の…劇団四季出身の…篠原涼子の旦那さん、あの人に似てる」
「たまに関西弁が出ると思ったら京大出身だって!」
「先に行った総合病院とは比べ物にならない」
「ワクチンの副反応って事を、頭ごなしに否定しなかった!」
「今までのドクター達とは全然違うね」
「すごく丁寧で真摯な振る舞いに感動した!」
ハイテンションで矢継ぎ早に喋る私に、夫は絶妙なタイミングの相槌を入れながら、笑顔でひたすら聞き役に徹していた。
夫と別れ、私は一人脳神経内科の待ち合いに戻った。
1時間、2時間が過ぎてもまだ呼ばれない。
結局私の順番は最後だった。
持って来た本をもうすぐ読み終えるところで私の順番が回って来た。
新しい始まりにワクワクを隠しきれず、動かない右脚を引きずりながらも、跳ねるように脳神経内科の一番奥の診察室の扉を開ける。
ドアの向こうに座っていたのは眼鏡のK医師。
思っていたより若いな。
「長い時間お待たせしてしまい、すみません」
そう言って、私の診察を始めた。
入院先の総合病院から受け取った様々な検査の結果や画像を見ながら、1回目のワクチン接種の日の話しから始める。
「1回目、2回目は特に気になる症状はありませんでした。強いて言えば、2回目の時は左腕の注射痕が少し腫れて、その日と翌日は筋肉痛の様な痛みが出て、左腕が上がりにくかったです。」
今回も左腕に注射したが、麻痺が出たのは右腕。
K先生は「う~ん…」と声を漏らし、ジィっと画像と資料を見つめたまま、私の話しを先に進めていく。
聞き取りをしながら、これまでの先生達と同じ様に、私の体に現れている症状を診ていた。
30分~40分、いや50分くらいかかっただろうか…体に異変が起きた時からK先生に辿り着くまでの経緯を全て話した。
「入院先の病院で、一通り必要と思われる検査はやってらっしゃると思いますが、もう少し細かいところを調べさせていただいてもよろしいですか?」
「いくつか追加して調べたい事があります。」
「検査ばかりで大変だと思いますが、確認しておきたいところがあるのでよろしくお願いします。」
もちろんイイに決まっている。
必要な検査があれば全て受けるつもりだ。
時間がかかっても、お金がかかっても、この原因が解るのならば、この体が元通りになるのならば、いくらだって、なんだってする。
直感的に、K先生の事は信じられる気がした。
先生に全てを任せ、お願いしよう。
もう一度私に希望をくれたのだから。
この日は採血10本を終え、次回の予約を入れて病院を後にした。
またここから私の挑戦が始まる。
これまでの私を取り戻したいのだ。
この障害を「受け入れて暮らす」のではなく、まだ私は抗いたいのだ。
ロシアンルーレット
曇り空・・・
せっかくの3連休なのに、天気予報は雨らしい。
今朝も夫は頭痛薬を持って出掛けて行った。
夫の頭痛が知らせる降雨確率は、テレビの天気予報よりも遥かに高い気がする。
所謂「頭痛持ち」の人って、大変だなぁ~。
私は今まで頭痛の経験が10回も無いんじゃないのかな…
「頭が痛い」というのがどんな感覚なのかさえ、もうよく覚えていない。
こんにちは リ・ハビリスです!
気持ちが弱っている時は「どうしてこんな事になったのか」とか「なぜ私がこんな目に」と、考えても意味の無い事がひたすら頭の中を巡る。
8月はそんな日が多かった。
そしてそんな中、とある番組を観てある事を思い出した。
それは4ヶ月遡り、まだ私のこの症状が発症して間もなくの頃、私の症状を見た知り合いのドクターに言われた事だ。
3回ファイザーのワクチンを接種したと伝えた後に
「あぁ…国とファイザーは因果関係を認めないと結託しているから、それを認めさせるのは相当難しいと思いますよ」と。
にわかには信じ難いと思っていたが、この前観た番組で、竹中平蔵氏が楽しそうに話していた。
菅元首相が、当時ファイザーのCEOを、民間人では初めて迎賓館に招き、
(当時の大統領トランプ氏が、迎賓館の池の鯉に餌をあげている映像がアメリカで放映され、ファイザーCEOは強く憧れを持っていたらしい)
池の鯉に餌をあげさせたらたいそう喜び、100万本入手予定のワクチンが700万本になった…と笑いながら。
んー------。
んー--------------。
本当に国とファイザーはズブズブなのか!?
そして先日観たニュース番組では、コロナワクチンの副作用と考えられる実態について問い合わせたキャスターに、厚生労働省はこう回答していた。
「リスクよりワクチン接種のメリットの方が上回る」
確かに
ワクチンを接種したからこそ救われている命はあるのかもしれない。
でも、たとえ0.数パーセントだとしても、ワクチン接種後にその副反応や後遺症を負う、あるいは寿命を絶たれた人がいる事も事実だ。
ワクチンをやめろと望んでいる訳では無い。
ベネフィットがあれば、リスクもあるのだろう事も承知している。
ただ
もしそのリスクを負ってしまった場合、その回復の為の手助けをして欲しい。
原因不明のままにせず、原因の解明と回復の為の治療法までを担って欲しい。
医者達は口々に「ワクチンと副反応を結ぶ因果関係は不明」と、否定的意味合いを含ませた言い方をするが、
じゃ、因果関係をキッパリ否定する事も証明して欲しい。
しかし2022年8月
国はまだワクチン接種に於ける副反応または後遺症の実態調査に取り組んではいない。
コロナワクチン『打つor打たない』
その選択の先に何があるのか。
それは誰にもわからない。
しかし、今私たちはその選択を迫られている。
その後の人生を掛けた選択を、国民はしなければならない。
副反応…
出るか出ないか…まるでロシアンルーレット。
アタリが出れば今のまま。
ハズレが出たら…人生が変えられてしまう。
何の解決策も何の補償も無く、ただもがき続ける。
いつ誰に「ハズレ」が当たるか分からない。
国民総参加型のロシアンルーレット
救世主現る!?
「病は気から」とはよく言ったものだ。
痛かったり焦ったりクヨクヨしたり。
8月は酷かった。
なかなか改善しないこの右脚を恨めしく思い、ネガティブを極めた。
そして10年振りくらいだろうか、風邪をひいたり食あたりをおこしたり。
4科合わせて計6回病院にお世話になってしまった。
まさに踏んだり蹴ったりだ。
1年後はどうなっているんだろう・・・
コレクションしているハイヒールを履けているのだろうか・・・
さて気を取り直し
こんにちは リ・ハビリスです!
前回、遂に手にした紹介状を持ち、町の整形外科を訪ねた。
そしてそこで更にまた新たな紹介状を受け取り、高いレベルの脳神経内科を持つ総合病院の門を叩く事になった。
そしてそして、いよいよ
2022年6月1日 ワクチン接種から60日目 退院から30日目
夫に付き添われて新たな総合病院に向かった。
まず受け付けで手続きを済ませると「総合内科」に案内された。
ん?総合内科??
確か脳神経内科に宛てて紹介状を作ってもらったはずだが…
どうやらこの病院では、初診の際にはまず「総合内科」を受診し、そこから医師が適した科に振り分けていく仕組みらしい。
それがコロナ関連に限ってのシステムなのかは不明だが。
ふ~ん
にしても、世の中にはこんなに調子の悪い人がいるのかとビックリするくらいの人、人、人。
また今日も相当待たされるんだろうなぁ。
予約をしてあっても平気で1時間2時間と待たされる。
何とかならないものなのか…誰か賢者がうまい仕組みを考え出してはくれないだろうか…
長椅子に座り、2枚綴りで裏表にぎっしりと設問がある問診票を書き始める。
そして500mlのペットボトルの2本目を口にした頃、ようやく呼ばれた。
10:00の予約が結局もう12:00だ。
診察室に入ると、とても若い男性の医師が座っていた。
先月入院した総合病院から受け取った画像データと併せて、これまでの経過を自分で昨夜まとめた用紙を数枚、先に受け付けに渡してあった為、それらを確認しながら診察が始まった。
そして先の病院のドクター達と同じく、膝や足首、肘をトンカチみたいな道具でトントン叩いたり、靴下を脱いで足裏に触れたり膝下に触れて感覚があるかを確認したり、つま先やかかとを上げたり歩かされたり。
その間若い医師の向こうには、その先輩らしき女性の医師が仁王立ちでずっと見守っている。
そして更にその上司なのか先輩なのか、ベテランの男性医師も時々チラチラと顔をのぞかせる。
何度かルーキー先生はその2人の元に行き、指示を仰いでいる様だった。
数分かけて定石通りの診察を終えた後、今度はベテラン医師が現れ診察が始まった。
診察台に横になり、股関節の可動域の確認が始まると、後はベテラン医師に交代し、ルーキー先生は2番手に回った。
診察を終えしばらくの沈黙の後、
ベテラン医師が口を開く。
「実は…あなたと同じ症状の方が2名、うちの病院に回って来ました。
その方達も、ワクチンを接種した後から歩行障害が出ています。
しかし、原因不明。検査をしても解らない。
ファイザー製薬に伝えましたが、認めてもらえない。
なので、どんなものでも証拠を一生懸命探しています。
ワクチンとの因果関係を証明できるものを、なんとか見つけ出そうと、一生懸命探しています。
病院はなかなかワクチンのせいだとは言いません。
結局原因が解らないから治療が出来ない。
現状、どの医者も踏み出せない。
しかし、ここの神経内科は、解らないからとそこで終わりにはしない。
更に踏み込んで゛治療”をします。
リハビリではなく、治療をします!」
涙が出そうだった。
ベテラン医師は脳神経内科に内線を回すと、一人のドクターを指名し話しをしていた。
有難い。
ここに来て良かった。本当に良かった。
私は「治った」を確信していた。
もう一度
痛みが現れる・・表れる・・
どっちだ??
区別のPOINTとして、
◍抽象的で形がないことが「表れる」
◍具体的で形があるものが「現れる」
らしい。
という事は、痛みという症状があらわれるのだから「表れる」か!!
と思いきや、「症状」は抽象的だから「表れる」だが、「痛み」は症状を具体的に表しているから「現れる」だって。
ふ~む…
日本語って難しい。
こんにちは リ・ハビリスです!
前回、一日も早く紹介状を欲しいと病院長に手紙を書いたところまで進みました。
では続きから・・・
2022年5月25日 ワクチン接種から53日目
●(左側重心ではあるが)胡坐をかける様になった
●まだ両脚交互では階段を上がれない(右脚を上げられない)
●上半身全体に「アリに噛まれる様な」チクチクする痛みが出る
2022年5月26日 ワクチン接種から54日目 退院から24日目
●右脚のつま先と踵を上げられる様になる
●右脚前に出せない(足裏が床に着いていれば前に出せる)
●右腕上がらない
●頭部・顔を中心に、チクチク針で刺される様な、アリに噛まれる様な痛みがある
右股関節の痛みはだいぶ引いてきたが、力が加わったりするとピキッと痛みが出る。
80度外に向いていた右脚を、真っ直ぐ前に向けて歩いたり、軽いストレッチを毎日行っているが、これが本当にリハビリとして行ってもいい動きなのかは判らない。
そして・・・
この日の夕方、入院先の総合病院から電話が入った。
脳神経内科の外来受付の女性だ。
彼女は何度も「申し訳ありませんでした」と繰り返した。
院長への手紙の効果はあったんだ。
にしても、彼女一人が全てを背負い、モンスターの生贄にされるとは気の毒な。
最初に電話を取っただけなのに。
なんならあの日、彼女はきちんと対応してくれていたのに。
むしろ二度目に対応した横柄な態度の女性が、紹介状を送ると約束したのに。
再び「すぐに紹介状を送ります」と伝えられ、電話を切った。
2022年5月27日 ワクチン接種から55日目 退院から25日目
●再び右股関節に強めの痛みが現れる
●右肩~右腕が一日中痛い
●気をつけの姿勢で右腕を真っ直ぐ伸ばし、横に上げるも脇の角度80度位までしか上がらないが、正面は真上まで上がる
2022年5月28日 ワクチン接種から56日目 退院から26日目
快晴のこの日、やっっっと待ちわびた紹介状が届いた。
やっっっと、やっっっっとだ。
これでやっと先に進める。
2022年5月30日 ワクチン接種から58日目 退院から28日目
休日が明けて月曜日、やっっと届いた画像と画像診断報告書を持って、リハビリに通う予定であった整形外科に向かった。
このドクターから、別の脳神経科を受診する事を勧められている。
診察室に入り、現在の症状の確認をする。
●常時現れていた右股関節の痛みは落ち着いて来たが、踏み込んだりして股関節に負担がかかるとズキッと激痛
●腰の痛み(股関節をかばって動く為、負担がかかっているせいか?)
●右腕70度くらいまでしか上げられない
改めて脳神経科に宛て、紹介状の作成を依頼した。
◍「近辺の総合病院の中で、脳神経内科のレベルが一番高い」と先生が考える病院
◍脳神経科に特化した医療センター
このどちらかを選択する様に言われていた私の希望は医療センターだったが、結局また総合病院に決まってしまった。
なにやらこの日通達が届いたらしい。
一通の封書を見せられ「僕も医療センターに書こうと思っていたんだけど、今日これが届いちゃったんだよ。ワクチン接種後の副反応の患者さんは、その総合病院に回す様にって。」という事だった。
「だけどあそこの脳神経は、この辺りでは一番だから」と付け加えられ、先生は紹介状を作り始めた。
所謂セカンドオピニオン。
もう一度最初から調べるなんて、正直考えてはいなかった。
しかし、この整形外科の先生に出会った事で、もう一度始めてみようと思った。
もしかしたら、私のこの症状の原因が解明されるかもしれない。
治療法が見つかって、この動かない右脚が動くかもしれない。
新たな期待を胸に、私は6月1日に「脳神経内科のレベルが一番高い総合病院」を受診する事になった。
拝啓・・・病院長様
心穏やかな時…というか、平常心で宗教に入信する人っているのかな…
こんにちは リ・ハビリスです!
なかなか届かない紹介状に焦燥感を募らせ、イライラがもうすぐ爆発しそう。
こうやって『モンスターペイシェント』は出来上がるのかな・・・
2022年5月23日 ワクチン接種から51日目 退院から21日目
「紹介状を送ります」と言われてから13日目を迎えたが、相変わらず紹介状は届かないし、何の連絡も無い。
武蔵と小次郎の巌流島の戦いを思い出す。
私は焦らされ試されているのか!?
んなバカな…
いよいよしびれを切らした私は、ある手段に出る事にした。
よし、院長に手紙を書こう。
知り合いの医療関係者と話した際に「何かあった時には院長宛にメールとか手紙を出せばいいよ。意外にメールとか手紙は見てたりするから。」とアドバイスをもらっていた為、本当に院長にまで届くかは分からないが、とりあえずアクションを起こす事にした。
病院のホームページを検索したが、院長宛のメールアドレスは見つからず、問い合わせ先も代表番号しか出て来ない。
ふぅ~ん、この人が院長か…
ホームページの院長先生は笑顔で「患者に寄り添い続ける」がモットーだと言っている。
患者に寄り添い続けるって、何だろう…
次の内容を手紙にまとめた。
・ワクチン接種~入院した事
・様々な検査に尽力いただいた感謝
・コロナワクチンとの因果関係について、ドクター達の見解の確認
・退院後21日経っても紹介状が届かない現状
・一日も早く紹介状が欲しい、そしてリハビリを始めたい
以上を書いたお願いの手紙を封筒に入れ、2022年5月23日に投函した。
振り返ってみると、よくそんな事したなぁと、自分のモンスター級の行動力に驚くが、その時は本当に必死だった。
一日も早くリハビリを始めたい。一日も早く復活したい。
何もしないでいる事が恐ろしかった。動かない右脚を抱えて、何もしないでいる時間は、この障害と真正面から向き合わなければならないような気がしていた。
もちろんこれは現実だが、多分それを認めたく無かったのだと思う。
とにかく、私に戻る為に何かをしなければならない。
一日も早くリハビリを始めなければ、もう戻れないかもしれないと懸念を抱いていたのだ。
病院長様・・・
どうぞ、私にも寄り添い続けてください・・・