障害を抱えるという絶望
右か左、どちらの道が正解だったのか・・・
人生は選択の積み重ね。
こんばんは リ・ハビリスです。
2022年4月28日 ワクチン接種から26日目
入院5日目
相変わらず早朝5時に目を覚まし、一日が始まるのを待つ。
本当に私の脚は動かないのか…ベッドから降りて確かめる。
本当に動かなかった。
●右股関節の痛みが徐々に和らいできている
●立ったり座ったり、右脚に重心を掛けたりすると「ピキッ」と右股関節に痛みが走る
●右脚、前に一歩踏み出せない(足裏が床に着いたままなら前に滑らすことは出来る)
●足首は動く
●かかと、数センチなら上げられる
●左こめかみ(直径15cmくらい)にピリピリする様な痛い様な感覚があらわれた
●右肩~腕にかけて、重く張っている様な感覚。筋肉痛の様な痛みがある
●両腕に大きめのブツブツした湿疹、両腿全体に赤い湿疹が出る
先に比べれば股関節の激痛はかなり楽になり、痛みのストレスが軽減されてきた。
7:30 朝食
10:30 シャワー
副担当医が病室に来る。
症状確認。
今日は検査の予定は無い。
14:20 主治医が病室に来る。そして話し始める。
「検査の結果、悪いところが見当たりませんでした。原因不明という事になります。」
えっ!?
続けた主治医の言葉が更に衝撃的だった。
「他の病院で診てもらうなら紹介状を書きます。」
瞬間私の思考回路が停止した。
言葉は解る。だけど言っている事がよく理解できなかった。
「時間が止まる」を経験したのは初めてだった。
私の脚は動かない。
だから様々な検査をした。
しかしその原因はわからない。
そして
他をあたれと?
主治医の「紹介状を書きます」は3回繰り返された。
今思えば、それは主治医の誠意だったのかもしれない。
しかし当時の私にとってその言葉は、いわば死刑宣告を受けたようなものだった。
『ここで放り投げるんだ』
『他ってどこ?だってここは地元では有数の総合病院。みんなここで診て欲しくて来てるのに。それなのに、他にどこへ行けと?』
言葉を失っている私を前に主治医は続ける。
「同じような例が無い訳では無いんですけど…実際はあります。けれどやはり原因がわからない。ワクチンとの因果関係に結びつかない。それでみんな原因不明となっているパターンです。」
「治療という事もできないので…ビタミンというのはできますが…効果があるかは…」
返す言葉が見つからず、黙って主治医の話しを聞いていた。
いや、聞くというより、主治医の声がただ耳に届いていただけだった。
もともと素直になれない私。
大きく動揺している事を悟られまいと話し出す。
【リハビリはやったほうがいいですよね?】
「リハビリはやっていった方がいいと思います」
【でも自分では出来ないですよね、どこをどんな風にやったらいいのか分からないですよね】
「ここの向かいにもあるみたいですし、開業医さんのところや…地域包括センターで教えてくれると思います」
【ここの整形では出来ないんですか?】
「ここの整形はやってないんですよ」
【???】
【えっ?リハビリやってないんですか?】
「やってないです」
【スポーツリハビリとかやってるって聞いたんですけど…】
「通いのリハビリはやってないんですよね」
この夜から私はリハビリを始めた。
と言っても、素人の私がやれる事といえば廊下を行ったり来たりする事くらいだ。
理学療法士さんに付き添われて、リハビリをしている高齢の男性を横目に、ひたすら歩いた。廊下の端から端を、何度も往復した。
『障害者』
障害者基本法によると、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。
※一部分を抜粋してあります
我が子が障害を抱えて生まれて来たら…
ある日突然の事故により、車椅子の生活を余儀なくされたら…
ある日突然病気で視力を失ってしまったら…
その心情は察するに余りある。
しかし世の中には、そんな現実を乗り越えて、素晴らしい活躍をしている人は数えきれない程いる。
障害を絶望などと思わない人もいっぱいいるだろう。
しかし私は、主治医から現実を告げられた時、
「絶望」の二文字しか頭になかった。
これが永遠なのか、それとも一時なのかは誰にもわからない。
しかし今、確かに私は障害者になった。