『コロナワクチン』打ったら人生変わった

ワクチン打っただけなのに…右脚に麻痺が出た。これからどうやって生きて行こう…

掴んだ蜘蛛の糸

re-habilis

re(再び・戻す)と、ラテン語のhabilis(適した・ふさわしい・できる)から成り立っている。

単なる機能回復ではなく、

「人間らしく生きる権利の回復」や「自分らしく生きること」が重要で、そのために行われる全ての活動がリハビリテーション(rehabilitation)

 

自分らしく生きるって…難しい…

自分らしいって何だろう…

 

こんにちは リ・ハビリスです。

 

 

主治医に引導を渡された、私の最後の望みは整形外科に託された。

何でもいい。何か手掛かりが見つからないか…

ワクチンとこの右脚に出ている麻痺を結びつけるもの…

それさえ見つかれば、きっとこの脚は治るはず。

私の体の中で、何がどうなっているのか…

 

 

2022年4月30日 ワクチン接種から28日目

入院7日目

 

●右脚股関節の痛み、麻痺による歩行障害

●右肩、右腕の違和感(痛重い、上がりにくい)

●左こめかみのピリピリとした痛み(昨日よりはだいぶ治まっている)

●引き続き下痢

 

 

今日も世間は連休中。病院も静かだ。

やる事は変わらないはずなのに、平日の朝と比べると、ゆっくり時間が過ぎているような気がする。

 

看護師さんに連れられて、病棟を出たところにある階段で、『上り下り』のチェックがあった。

久しぶりに階段を上がったが、こんなに大変だったかな…上がるのも下りるのも一苦労だ。

どんな体勢でも痛みが出る。

鬼の形相で5段上がり、ひょっとこみたいなアホ面で、こわごわ下りる。

「あ~、ちょっとこれじゃ厳しいね。家に階段あるよね!?この状態で家に帰れるかな…。いつ退院か聞いてる?」

 

階段・・・なかなか手強いな。

 

 

2022年5月1日 接種から29日目

入院8日目

 

カーテンの向こうの隣のベッドで何やらバタバタ始まった。

時計を見たらまだ5:30

灯りが点けられ目が覚めた。

続いて勢いよく、シャッと窓のカーテンが開けられた。

まだ6:00前だけどね。

 

学生時代の朝を思い出す。

母親におもいっきりカーテンを開けられた。それでも私は起きなかったけど。

 

お母さん…

こんな体になっちゃってゴメン…

何故かそんな思いがポッと浮かび、しばらく入院も、脚の事も伝えられなかった。

 

 

●右脚股関節の痛み、麻痺による歩行障害

●右肩、右腕に違和感(強い筋肉痛の様な痛みと突っ張り感)

 

昨日まで続いたこめかみのピリピリ感はほぼ治まった。

下痢も治まった。

 

 

2022年5月2日 接種から30日目

入院9日目

 

4:40 隣のバタバタで目が覚める

5:45 起床、健康観察

 

早っ。いくら仙人生活だからって、早過ぎないか!?

今日も三文の徳・・得・したな。

 

読書と自己流リハビリに精を出しながら、心待ちにしていた整形外科への受診。

 

「呼ばれましたよ~、行きましょうか!」

 

来たッ!!!

ここで逆転ホームラン!!

専門医に私の脚を診てもらおう。

絶対に何か解るはず。

 

 

垂らしてもらった蜘蛛の糸

私は自分さえ助かれば…なんて思いません。

だからお釈迦様おねがい…この糸を切らないで!

 

 

5月2日の午後、私はその細い糸だけを頼りに、整形外科へと向かった。

 

 

 

 

サイレント・キラー ~未知の刺客~

いよいよ梅雨の到来か・・・「雨おんな」と言われる私が活力を増す時季がやって来た。

過去、私の出張中の降水確率は、7割に迫る勢いだった。

 

そういえば、お気に入りの曲は「雨」の曲が多いな・・・

 

こんにちは、リ・ハビリスです

 

 

 

前回衝撃の告知と告白を受けた私は、また振り出しに戻った。

 

 

主治医の下した診断は

『右下肢筋力低下・右内反肢、右股関節症』である。

 

様々な検査を行ったがその原因は解らず、治療法も対処法も解らないままだった。

そして「もうこの病院で出来る事はありません」と、キッパリ引導を渡された。

 

 

でもね、先生…

 

炎症してないとか

筋力の低下は見られないとか

数値は正常の範囲内とか・・・

 

そんな事を言われても、痛いものは痛いし、動かないものは動かない。

医師達の知識・経験上で考える、検査の結果に異常が無くても、

それでも痛いものは痛い、動かないものは動かないんですよ。

 

 

突然宙ぶらりんにされた私は、それでも何とかここにすがりつかなければならない。

この糸を断ち切られてしまえば、もうどうしたらいいのか分からない。

他に頼る病院も、知ってる名医も何も無い。

ただ障害を抱えたまま、どうする事も出来ないのだ。

 

原因が解らないならそれでもいい。

私のこの脚が、また動くようになればそれでいい。それだけでいいのだ。

 

私は主治医に懇願した。

「整形外科で診ていただけないですか!?最初の病院で、整形外科を受診するように言われていたんです!!」

「リハビリをしたら、この脚も動くようになる可能性があるんですよね!?入院中だけでも、リハビリをさせてください!!」

 

私の最後の願いは聞き入れられた。

その日の夕方、看護師から連休明けの5月2日に、整形外科への受診予定が入ったと知らされた。

 

 

コロナワクチンを打ったら…私は右脚マヒで歩行障害になった。

 

しかし、どんなに検査をしても原因は解らない。

こんな恐ろしい事があるのか!?

私の中で、その病原はひっそり息を潜めている。

今の医療では解明できない・・・??

しかし確かに病原は私の中にいるのだ。

病原を植え付け、痕跡を残さない。

 

恐ろしい。

 

 

因果関係が認められなくても、2022年4月3日にコロナワクチンを接種したあの日から、私の体は壊れているのだ。

 

 

 

 

 

 

告白

あの日私の背中にゴッツイ針をブッ刺して、経験積んだ研修医、立派な医者になってくれよ・・・

 

こんにちは リ・ハビリスです。

 

 

私のこの麻痺を知った友人・知人は口を揃えて皆こう言った。

「どこかに言った?ちゃんと報告しなきゃダメだよ!」

「副反応相談窓口とかあるよ!」

 

 

もちろんです!

もちろん一番最初に電話しました!!

 

激痛を抱えながら【コロナワクチン接種副反応相談窓口】にすがりついたのは、

ワクチン接種から3日後の事だった。

 

どんな症状ですか?

いつ接種しましたか?

どちらで接種しましたか?

ワクチンの種類は?

お名前、生年月日とご住所は?

 

私は…とにかくつらくてたまらないこと、これまでの経緯と、

どうなってしまうのか不安なこと、今からどうしたらいいのか…などを伝えた。

 

『さぁ、早く答えをちょうだい!!』

 

『やっとこれで助かる!』そう思って耳を澄まし、スマホを握り直した。

どこの病院に行けばいいの?

いつ診てもらえるの? 今すぐ??

何科?

 

「接種した病院には相談しましたか?

もしあまり調子が悪いようなら、病院を受診してください。」

 

 

オッイッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

寝ぼけてるのか!?

どれだけつらいか今言っただろう!!

何なんだよ、相談窓口って。

症状によって病院を案内してくれるんじゃないの!?

病院につないでくれるんじゃないの!?

困ってるから電話したんだよ。

調子が悪いから電話したんだよ。

 

 

厚生労働省のお役人さま

【コロナワクチン接種副反応相談窓口】って、何の為に設置したんですか?

 

その個人情報は何の為に聞いたのですか?

こんなに苦しいと言っているのに、

救いを求めてコールしているのに、

私の居場所を把握しているはずなのに、

その後特に症状確認も安否確認も何もありませんけど・・・

その個人情報、本当に必要でした?

 

 

「イザ」の時のこの国を見ていると、不安しかない。

 

だが仕方ない。この国に生まれて、この国に暮らしてるんだから…。

 

 

 

2022年4月28日、この日私は衝撃の告知を受けた。

それは前回でお伝えした通りだが、

全くの健康体だった私の体は、コロナワクチンを接種したその夜から壊れてしまった。

そして主治医からの告知。

「原因不明だから治療ができません。」

 

 

ワクチン接種したら体が壊れたけど、コロナワクチンのせいじゃ無いんです。

だって原因がわからないから因果関係不明なんですもの。

 

という事のようです。

 

 

 

そしてこの日、実は私はもう一つの告白を受けている。

4月28日、主治医が私の病室に来る前に、副担当医が来ていた。

もちろん副担当医は、今から主治医が私に衝撃の爆弾を落とす事は知っていただろう。

では・・・その前の心構えをさせようとしたのか!?

こんな告白をしていた。

「仮にワクチンが怪しいと思ったとしても、実際にはワクチンとの因果関係はなかなか認められない。

症例を上にあげると、更に位の高い先生達が集まって会議にかけられる。

そうこうしているうちに患者側は騒ぎ立てて…そうなると面倒になって『どうせ補償が欲しいんだから、どんどん出せばいいのにな』と発言する先生もいる。」

なるほど・・・

医師達の中では「コロナワクチン接種→副反応の訴え=悪」なんだな…と理解した。

だから私が回った病院の医師達は、私を厄介者のように扱ったんだな…と、やっと理解できた。

 

 

この副担当医からの前置きは、私の主治医への不信感に、更に拍車をかけることになった。

 

 

 

何を、誰を信じたらいいんだよ・・・

 

 

 

 

 

大人の歩行器

医者はなぜ「医者になろう!」と思ったんだろう・・・

 

こんにちは リ・ハビリスです

 

 

 

2022年4月29日 ワクチン接種から27日目

入院6日目

 

昨夜はほとんど眠れなかった。

真夜中なのか、早朝なのか、3時にこっそりカーテンを開けてみた。

私のベッドは窓際だった為、少し開けたカーテンの隙間から外を眺めていた。

そしてまた、今日も空が白みはじめる。

なんだかよくわからないけど・・・・・つらいな・・

 

 

6時を過ぎても今日はベッドから出られない。

鼻まで布団をかぶり、何度母親に起こされても起きない子供の様に、布団の中でジッとしていた。

 

世間はゴールデンウイークかぁ…

夫と私の予定は全て流れちゃったな…

 

 

●右股関節の痛み(力が入ったり、負荷がかかるとズキッと痛む)

●右脚の麻痺による歩行障害

●左こめかみのピリピリ感

●右肩~腕にかけての重く張っている感覚(筋肉痛のような)

●両腕と両腿の湿疹(痛みも痒みもない)

 

 

10:55 休日の当番医師による症状確認

 

初めて見る眼鏡の男性医師。

「ど~ですかぁ調子は?」とお調子よく声を掛ける医師。

『特に変わりません』シレーっと答える私。

「動かない~?」

『動きません』更に広がる温度差。

「もう検査終わったんだよね~」

『終わりました。原因不明と言われました』

「良かったじゃ~ん」

『!!!!!!』はぁぁ~っ?

「わからない方がいいよ~」

『良くないですよッ。わからないから治療ができないって言われましたけど!!』

かぶせる様に発した私の言葉にイラつきを見付けたのか、医師はそのまま次の患者のもとへ行ってしまった。

何故原因不明が良かったのか、その真意は今も不明だ。

 

 

入院時の決まりとして、私の場合、院内の売店に行く時や、検査に向かう時には車椅子を使わなければならない。

そして、入院している脳神経内科の病棟内では、気をつけながらの自力歩行が許されていた。

 

今日は何の予定も入って無い。

よし、売店まで行くとするか。

病棟を出発。左カーブを曲がった先の廊下、何故かいつも暗い。電気もついていない。

オバケが出たらどうすんだよ…とダッシュで通る。

今も思う。何故あそこだけ昼間もあんなに暗いのか。どうして電気をつけないのかな…。

もしかして…と、いろいろ怖い事を想像しちゃうじゃん。

 

売店に行く前に、一階正面玄関に寄ってみた。

いつもはめちゃめちゃ混んでいる総合受付も、今日は私一人だけだ!

長い通路を車椅子で思いっきり走り抜けてみた。

「ヒャッホ~イッ」

いつの間にかこの相棒にも愛着が湧いてきている。

『よし!名前でも付けてやるか!』

いやいや、そりゃイタすぎるからやめよう。

 

病棟に戻り、ベッドに腰掛けぼんやり外を眺めている。

街中にあるこの病院は、少し歩けばすぐに繁華街に行ける。

家族連れや若者が歩いている。街にもだいぶ人が戻ったな…。

 

 

右脚を引きずりながらランドリーに行く途中、介助スタッフの方に声を掛けられた。

「歩くの大変そうだね、転んだら危ないし、歩行器使う?持って来てあげるよ!」

ん?歩行器…

赤ちゃんが使うアレ?

何だかカッコ悪くないかな…。そう思った私はとっさに『いい、いい、大丈夫です』と断った。しかし彼女は「これがあった方がラクだよ!」とすぐに用意してくれた。

デカっ。赤ちゃんが使う可愛らしいのじゃ無く、それよりも数倍ドデカい、無機質な可愛く無い大人の歩行器だった。

 

仕方ない、持って来てもらった手前、ちょいと使ってみるか。

 

ウワオ!

めっちゃラク

超~快適。スイスイ進む。これならトイレに行くのもランドリーに行くのも数秒だ。

そして何よりリハビリするのにとてもいい!

左脚重心にならず、姿勢を真っ直ぐ正して左右均等に力を入れられる。

そして、いままで80度外を向いていた右のつま先を、少しずつ内側に戻してゆっくり歩いてみる。

歩行器が支えてくれるおかげで、右脚に負荷をかけ過ぎないように歩く事ができる。

うわぁぁ~もっと早くから使えば良かった!

 

こうして大人の歩行器は、私の相棒2号になった。

 

 

 

そういえば・・・売店からの帰り道、朝の眼鏡とすれ違ったけど、あんなに至近距離だったのに、私と目も合わせずにソソッと避けるように行っちゃった。

 

 

 

医者もいろいろ…

 

 

 

障害を抱えるという絶望

右か左、どちらの道が正解だったのか・・・

人生は選択の積み重ね。

 

こんばんは リ・ハビリスです。

 

 

2022年4月28日  ワクチン接種から26日目

 

入院5日目

 

相変わらず早朝5時に目を覚まし、一日が始まるのを待つ。

本当に私の脚は動かないのか…ベッドから降りて確かめる。

 

本当に動かなかった。

 

 

●右股関節の痛みが徐々に和らいできている

●立ったり座ったり、右脚に重心を掛けたりすると「ピキッ」と右股関節に痛みが走る

●右脚、前に一歩踏み出せない(足裏が床に着いたままなら前に滑らすことは出来る)

●足首は動く

●かかと、数センチなら上げられる

●左こめかみ(直径15cmくらい)にピリピリする様な痛い様な感覚があらわれた

●右肩~腕にかけて、重く張っている様な感覚。筋肉痛の様な痛みがある

●両腕に大きめのブツブツした湿疹、両腿全体に赤い湿疹が出る

 

先に比べれば股関節の激痛はかなり楽になり、痛みのストレスが軽減されてきた。

 

 7:30 朝食

10:30 シャワー

 

副担当医が病室に来る。

症状確認。

今日は検査の予定は無い。

 

 

14:20 主治医が病室に来る。そして話し始める。

 

「検査の結果、悪いところが見当たりませんでした。原因不明という事になります。」

 

えっ!?

続けた主治医の言葉が更に衝撃的だった。

 

「他の病院で診てもらうなら紹介状を書きます。」

 

瞬間私の思考回路が停止した。

言葉は解る。だけど言っている事がよく理解できなかった。

「時間が止まる」を経験したのは初めてだった。

 

 

私の脚は動かない。

だから様々な検査をした。

しかしその原因はわからない。

 

そして

他をあたれと?

 

主治医の「紹介状を書きます」は3回繰り返された。

 

今思えば、それは主治医の誠意だったのかもしれない。

しかし当時の私にとってその言葉は、いわば死刑宣告を受けたようなものだった。

 

『ここで放り投げるんだ』

『他ってどこ?だってここは地元では有数の総合病院。みんなここで診て欲しくて来てるのに。それなのに、他にどこへ行けと?』

 

言葉を失っている私を前に主治医は続ける。

「同じような例が無い訳では無いんですけど…実際はあります。けれどやはり原因がわからない。ワクチンとの因果関係に結びつかない。それでみんな原因不明となっているパターンです。」

「治療という事もできないので…ビタミンというのはできますが…効果があるかは…」

 

返す言葉が見つからず、黙って主治医の話しを聞いていた。

いや、聞くというより、主治医の声がただ耳に届いていただけだった。

 

もともと素直になれない私。

大きく動揺している事を悟られまいと話し出す。

【リハビリはやったほうがいいですよね?】

「リハビリはやっていった方がいいと思います」

【でも自分では出来ないですよね、どこをどんな風にやったらいいのか分からないですよね】

「ここの向かいにもあるみたいですし、開業医さんのところや…地域包括センターで教えてくれると思います」

【ここの整形では出来ないんですか?】

「ここの整形はやってないんですよ」

【???】

【えっ?リハビリやってないんですか?】

「やってないです」

【スポーツリハビリとかやってるって聞いたんですけど…】

「通いのリハビリはやってないんですよね」

 

 

 

この夜から私はリハビリを始めた。

と言っても、素人の私がやれる事といえば廊下を行ったり来たりする事くらいだ。

理学療法士さんに付き添われて、リハビリをしている高齢の男性を横目に、ひたすら歩いた。廊下の端から端を、何度も往復した。

 

 

 

『障害者』

障害者基本法によると、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。

※一部分を抜粋してあります

 

我が子が障害を抱えて生まれて来たら…

ある日突然の事故により、車椅子の生活を余儀なくされたら…

ある日突然病気で視力を失ってしまったら…

その心情は察するに余りある。

 

しかし世の中には、そんな現実を乗り越えて、素晴らしい活躍をしている人は数えきれない程いる。

障害を絶望などと思わない人もいっぱいいるだろう。

しかし私は、主治医から現実を告げられた時、

「絶望」の二文字しか頭になかった。

 

これが永遠なのか、それとも一時なのかは誰にもわからない。

 

 

しかし今、確かに私は障害者になった。

 

 

 

 

 

 

美人を引き寄せる力 ~スピンオフ回~

マスカラつける時、口が開いちゃうのは私だけですか?

こんにちは リ・ハビリスです。

 

 

突然ですが

 

『美人の定義』

美人とは、女性美を備え容姿・声・印象共に美しい成人しているシスジェンダー女性、及びトランスセクシャル女性をさす言葉。

Google検索より引用

 

ウ~ン…

ここでの美人の定義は、「美人」と言って、あなたがイメージするもの・・・としてください。

 

 

私の友人・知人には美人が多い。

いやいや、多いどころかほぼ美人だ。

皆華やかで美しい。

 

仲良しの同僚数人で会社を出て、目の前にある駅までの帰り道でさえ、何人かの人が振り向くくらいだ。

職業的に美人が集まるのか…

いやしかし、学生時代から私の友人は美人揃いだった。

私の親友は、その美貌から(それだけじゃないけどね)白人男性に惚れられて結婚した。

アジアだけでは無く、世界に通用する美人なのだ。

スポーツ選手と結婚し、テレビで美人妻と紹介されていた友人。有名スポーツメーカーに勤める帰国子女の旦那さんと、幸せに暮らすエキゾチックな美女。独身時代はよく一緒に飲み歩いたものだった。そこでも彼女は視線を独り占めにしていた。

 

私の抱える顧客さえも美しかった。

同僚に「あなたを指名で来るお客様はみんな美人ね」とよく言われたものだ。

 

なんと有難い力だろう。

美人見放題。

 

もし男性でこの力が備わったとしたら…最強だろうな。(何が最強なのかわからないが)

 

何故か美人に囲まれる力。

 

そしてもう一つ、彼女達に共通しているのは・・・

抜群のユーモアセンス。本当に抜群!!

何時間お喋りしても飽きる事が無い。

ずっと笑いっぱなしだし、解散する時には体中に力がみなぎっている。

明日へのワクワクでいっぱいになる。

何なのだろう、このパワーは。

 

 

最後にもう一人、入院中に思い出した美人がいる。

彼女とは数年一緒に働いたが、異動でペアは解消された。

その後別々の持ち場で働いていたが、その数年後に彼女は退職した。

第二の人生という言葉が相応しいかはわからないが、彼女の転職先はこれまでと全く異なる業種で驚かされた。

彼女は転職先に「病院の介助スタッフ」を選んだのだ。

転職して間もない彼女からlineが入った。

「ものすごくハードで体は大変だけど、とても充実している。やりがいを感じるよ」

 

 

 

私もこの入院中、バリバリ働く介助スタッフの方達のお世話になりながら、彼女を思い、何故か誇らしい気持ちになっていた。

 

 

 

 

 

脳に焼き付いた記憶

久しぶりにジャネット・ジャクソンを聴いています。

BLACK CAT

うちにも時々爪とぎに来るなぁ~黒猫ちゃん。

それから・・・今日もメルカリ便を届けてくれたクロネコさん。

気が付きゃ〈ねこ〉だらけ。

こんばんは リ・ハビリスです。

 

 

2022年4月27日 ワクチン接種から25日目

 

入院4日目

 

今日はいい天気だ。

夜中何度か目が覚めて、結局5:15から本を読んでいる。

 

スマホ、PC、今回は契約しなかったテレビと冷蔵庫。

家電一切無しの病院生活。娯楽は本のみ。

ある意味デジタルデトックスだ。

そして規則正しい生活、6:00に起きて3食決まった時間に野菜中心の食事を摂り、夜9:00には就寝。すごいな、仙人並みだ。今朝は起床6:40だったけど。

 

 

今日の予定は

 

●筋電図検査

MRI(脳)

 

『筋電図検査』

電気刺激を用いて神経系を調べる。主に感覚障害(手足の痺れなど)や運動障害(歩行障害などの筋力低下)、その他手足が勝手に動いてしまう不随意運動や手足が突っ張ってしまう筋緊張異常などの診断に有用な検査。

Google検索より引用

 

 6:40 起床

 7:35 朝食  今朝はあまり食欲が無い

10:00 筋電図検査

副担当医に連れられて検査室へ。小さな薄暗い部屋の小さな診察台の上に横になり、検査は始まる。

壁にピッタリ付けられた診察台の上で、壁に向かって横になったり、今度は壁を背に、向きを変えたり仰向けになったり、何度も体勢を変えるよう指示をされたが、思う様に体は動かず一苦労。

支えが無ければまだ右脚は上げられない。

 

14:00 シャワー

16:40 MRI(脳)

18:20 夕食

 

 

今日で入院4回目の夜を迎えるけれど…

入院後毎日夜中に目が覚める。それも一度や二度では無く、ほぼ毎日一時間毎に。

目が覚めて時計を見ると、まだ深夜1:00。

また目が覚めた。カーテンの向こうはまだ暗い。まだ3:00か…。

早く時間よ経ってくれと願いながら、再び目を閉じる。

 

やはり不安が大きいからか…

家を離れて寂しいからか…

それともまさかこれも副反応なのか…

 

いや、違う。

実は薄々気付いていた。

これはきっとトラウマのせいだろう。

 

 

あれは中1の夏。

大好きな従妹のお姉さんの家にお泊りに行った日の事。

明け方トイレに行きたくて目が覚めた。

はぁ~スッキリ!

 

・・・・・ん??

ウソだ、これは夢!?

信じられないが、パジャマがビッシャビシャ。

間違いない。オネショだ。

確かにトイレに行ったのに。鮮明に覚えている。部屋を出て廊下を歩き、確かにトイレに入ったはずだ。

 

夢に騙された。

 

 

そしてまだある、あれは結婚間もなくの夜…

ベッドを買う前の部屋で、布団を敷いて眠っていた。

隣には夫。

そして悪夢は再び…まだ夜が明ける前、トイレに行きたくなった私は布団から出た。

確かにトイレに入ったはずだ!ちゃんと記憶がある。

それなのに…

それなのに…

新婚なのに…

 

また夢に騙された。

 

なんとか…無かった事にならないか、深夜3時にこっそりドライヤーを当ててみたり、うっかり水をこぼした風に偽装できないかと、あれこれやってはみたものの、なんとかなる量では無かった為あきらめた。

 

それらがきっとトラウマとなり、私の外泊での睡眠を妨げているのだろう。

 

この「脳に焼き付いた記憶」なんとかならないものか…

どなたか何か方法があったら教えていただきたい。

 

 

 

 

 

 

2022年4月27日

この日まではまだいつもの私だった。

右脚に麻痺が出たけれど、当たり前に治ると思っていた。

原因が解れば、薬を飲めば、直ぐに元通りになると当たり前に思っていた。